ピンクのモーツァルト



久しぶりに外で会うことになったその日、待ち合わせ場所に現れた竜也を見て直人は息を
呑んで目を丸くした。
「お待たせ直人!・・・って何?どうしたの?」
そのまま無言で真っ直ぐに顔を凝視してくる直人の視線に竜也は小首を傾げて目を瞬いた。
「いや・・・。それで?今日はどこに行くんだ」
「え?ああ、うん。今日はねぇ・・・♪」
らしくなく言葉を濁した直人を不思議に思いながらも、久しぶりのデートに浮かれる竜也
はすぐにころりと笑顔に戻り直人の隣に並んで歩き出した。
竜也が外で会いたいと言い出す時は、ショッピングなり食事なり、大抵どこからか新しい
店の情報を仕入れてきた時で。
今回もやはりそうだったらしく、隣を歩きながら嬉しげに竜也が話すそういった店々の話
を直人は半分(以上)聞き流しながら聞いていた。
新しいモノ好きで意外と流行に敏感な(ミーハーともいう)竜也は、行きたい所が出来る
とまず必ず直人を引っ張って行く。
それが嫌なわけではないが、食事はともかくショッピングなどであればわざわざ自分と予
定を合わせるようなことをしなくても一人で行ってもいいだろうにと直人はしばしば思っ
ていた。
お互い忙しい身の上で二人の予定が合うのを待っていたらそれだけ時期を逃すことになる
からだ。
そこで直人は一度そのことについて尋ねてみた。
すると。
「だって・・・一番最初は直人と行きたいんだもん。・・・ダメ?」
という答えがおずおずとした上目遣いと共に返ってきて、その時直人は何も言えずに黙っ
たが、その実内心ではヤニ下がりそうになる顔を堪えるのに必死だった。
そんなわけで。
例えハタからどう見えようとも直人は常に快く竜也に付き合っている・・・のだが、この
日は少しばかり様子が違っていた。
いつもなら、竜也の話を大半聞き流しながらも、はしゃぐ竜也の様子に目を細め苦笑して
いたりするところ、今竜也と共に歩く直人はほとんど無表情だった。
しかもあろうことか、直人は突然ピタリと立ち止まってしまったのである。
直人が曖昧な返事しか返してこないのはいつものことなので、いつも通り話に夢中になっ
て直人の様子をあまり気にしていなかった竜也もこれには驚いて自分も足を止め、絶句し
て直人を振り返った。
見れば直人は立ち尽くしたまま後ろを見つめていて、かと思えば不意に視線を前に戻して
竜也をジロリと睨んだ。
その表情は未だかつて見たこともないような、怒っているのとも不機嫌なのとも違う何と
も言えず複雑な表情で竜也は無意識に肩を強張らせた。
「な、何?」
通りの真ん中での直人の不可解な行動と視線の意味が分からず困惑する竜也を尻目に、
直人は小さく息を吐くと再びゆっくりと歩き出した。
「・・・何でもない」
「え?あ、ちょ・・・待ってよ直人ぉ」
竜也の横を通り抜けざまぼそりとそう言ってそのまま歩いていく直人を竜也は慌てて追い
かけた。
その後いくつかの店に立ち寄りながら二人はしばらく歩いて回り、今はとある有名百貨店
の所謂デパ地下にあるケーキショップを訪れていた。
ショーケースに並ぶ色とりどりのケーキに、竜也は腰を屈めて熱心に見入っている。
身長180cm超の大の男がそれはそれは嬉しそうにうっとりとケーキを眺めている様は
はっきり言って目立つ。
これでその横に自分も並ぼうものならさらに目立つこと受け合いなことは分かりきってい
るので直人は竜也から距離を置き、遠巻きにそんな竜也を見つめていた。
「う〜ん迷うな〜。これ美味しそうなんだけどこっちも凄く美味しそうだし・・・う〜全部食べ
たいよ〜」
そんな周囲の様子など気にも留めず、ショーケースの前でぶつぶつ呟きながら目を輝かせ
たり眉を寄せたり一人百面相を繰り返していた竜也はやがて、選択に迷う心の内を表すよ
うに少し尖らせ気味に突き出した唇にふと人差し指を押し当てた。
それは竜也にしてみれば全く無意識の些細な仕草であったのだが、その途端物凄い勢いで
後ろから襟首を掴まれて竜也は仰天した。
「うわっ!?な、直人ぉ!?」
そのまま力任せに引き摺り起こすように竜也を立ち上がらせたのは他でもない直人で、直
人は面喰ってもがく竜也に向かって地を這うような低い声で、
「お前な・・・いい加減にしろ・・・」
と言うやいなや、有無を言わせず竜也を引っ張って大股で歩き出した。
「ちょ・・・痛いって!何なんだよもう!」
そうして竜也が連行されたのは広い店内の端にある男性用化粧室だった。
有名百貨店だけあって無意味に明るくて広く小奇麗で清潔感のある造りをしているその場
所まで来て、ようやく直人の手を振り解いて竜也は憤慨した。
「さっきから一体何なの?今日の直人変だよおかしいよ!俺が何かしたのならちゃんと言
ってよ!」
そう喚いた竜也の目には涙が浮かんでいた。
無理もない。
いくら鈍い竜也でも先程の一件以来直人の様子が普段と違うことには気がついていたし、
どうやら自分に原因があるらしいことを薄々感じてはいた。
しかし身に覚えがない上に直人が何も言おうとしないので、戸惑いながらもせっかくの二
人の時間を壊したくなくて竜也はあえて問いただすこともせずにいたのである。
竜也にしてみれば理不尽な直人の振る舞い。
唇を噛んで自分を睨む竜也に直人は舌打ちしつつぼそりと言った。
「変なのはお前だ・・・」
「え?」
「お前唇に何をつけてる?」
「え?え?」
思いもかけないことを言われた竜也は慌てて指先で唇をなぞり、洗面台の大きな鏡を覗き
込んだ。
そうしてよくよく己の顔を見つめてみて・・・竜也は顔色を変えた。
「え・・・?何これ何で?何で唇ピンク色!?」
「聞きたいのはこっちだ・・・」
分かってはいたがやはり自覚がなかったことを裏付ける竜也の言葉に、直人は肩を落とし
て溜息をついた。
鏡に映る竜也の唇はルージュを引いたとまではいかないまでも明らかに通常の唇の色素と
は異なる色合いで、ほのかに淡い桜色をしていた。
変だ・・・と竜也は思った。
二十歳も過ぎた男の唇がこんな色であっていいはずがない。
似合う似合わない以前の問題だ。
こんな姿で平然と歩いているのを他人が見れば間違いなくソッチの方の気がある人間だと
思うに違いない。
はっきり言って引く。
ああそうか。だから直人は何か物言いたげな様子で態度がおかしかったんだ。
自分はまるで気がつかなかったけれど、きっとずっと道行く人から奇異の目で見られて居
心地悪い思いをしてたんだ。
早く言ってくれればいいのに・・・俺だって今さらながらに恥ずかしいよ・・・。
「おい」
ぐるぐるとそんなことを考えながらがっくりと項垂れていた竜也は直人の声に顔を上げた。
「何もしなくてそうなるわけがないだろう。口紅じゃないならお前何をしたんだ」
「あ〜・・・うん、多分アレ。リップクリーム」
「リップクリーム?」
「うん。最近ちょっと唇が乾燥気味で荒れてるの自分でも気になってて。そしたら会社の
受付の子が何か気に掛けてくれてさ。くれたの」
「リップクリームを?お前に?」
「うん。まだ未使用の新品だからどうぞって」
「で、それを使ったと」
「はは、まあ・・・。ん〜・・・言われてみればピンクっぽかった気もするけどまさか色がつく
とは・・・。うわ、ダメだ。水で拭ったぐらいじゃなかなか落ちないや」
苦笑しながら水道の蛇口を捻り唇を洗う竜也に直人は頭痛を覚えて眉間を押さえた。
一見してピンク色をしていたのなら色がつくことぐらい予想できそうなものだ。
確かに今時男でもリップクリームを所持し常用することなど珍しくもないが・・・入用なら
『薬用』とでも書かれた飾り気のないものを自分で買え。
卑しくも浅見財閥の御曹司が受付に座ってるような若い女からほけほけ物をもらうんじゃ
ない。そして使うな。
そういう迂闊なことをするからこういうことになるんだ。
どうにかならないのかこの天然は!
と、直人は心の中で思った。
直人の表情をどう思ったのか、竜也はぽつりと呟いた。
「ごめんね。恥ずかしい思いさせちゃって」
「恥ずかしい?俺が?」
「だって・・・俺がこんな変な顔して歩いてたから、直人まで変な目で見られちゃってたん
だろ?」
心底申し訳なさそうにそう言う竜也に直人はまた盛大に溜息をつき肩を落とした。
「本気でそう思ってるのか」
「へ?違うの?」
「俺は別に変だなんて思ってないぞ。多分・・・他の奴らもな」
「はぁ・・・」
「むしろその・・・何というかな。変じゃないから性質が悪い」
「???」
直人のその言葉に、竜也はまるで分からないというように不思議そうに小首を傾げた。
成人男子にあるまじき仕草であるにもかかわらず、竜也のそれは有りえないほどに可愛ら
しい。
ことに淡い桜色の唇がその愛らしさに拍車を掛けていた。
そう。竜也自身は似合わない以前におかしいと思っている桜色の唇だが実のところは全く
その逆だった。
それは竜也の端正な容姿の中にある童顔な部分をことさら際立たせる絶妙なアクセントに
なっていて、見る者にどこかフェミニンな印象を与え、常にはないアンバランスな色っぽさを
醸し出してさえいた。
そんな姿で無自覚に笑顔を振りまき、あまつさえ可憐な仕草などされようものなら見ている
方にははっきり言って目の毒というもので。
ケーキショップのショーケースを眺めていた時といい今といい、心臓に悪い竜也の姿に直人
は一瞬言葉につまり、堪えかねたように洗面台の縁をばんっと叩いて怒鳴った。
「それだそれ!それが問題なんだ!」
突然声を荒げた直人に竜也は目を見開いてびくりと肩を揺らした。
そしてさらに直人は言った。
「むやみやたらに色気振りまいてんじゃない!!」
「はあ!?」
「ったく・・・。いつもいつもただでさえ外を歩けばお前を見ていく奴は多いってのに今日は輪
を掛けて多かったぞ。しかも老若男女問わずだ」
「いつもって・・・。いやだからそれはさ・・・」
「その時の連中の目の色をお前は知らんだろう!どいつもこいつも惚けた目をして見惚れ
やがって忌々しい・・・。アレは変なモノを見る目なんかじゃない。断じてだ!!」
「な、直人・・・」
『それは直人の思い過ごしだよ』と竜也は言いたかったが、こうも力強く断言されてはそ
れは言葉にならなかった。
それにここまで言われれば流石の竜也も分かってしまった。
今日の直人の複雑な表情も挙動不審な様子も、全ては自分に対する独占欲からくる嫉妬の
為だったのだと。
そう思うとなんだか嬉しくもあり、竜也の心中も複雑であった。
「それに何より・・・」
「え・・・っ!?」
ぽつりと呟きざま直人は唐突に竜也の腰を抱き寄せてその顔を覗き込み、直人の腕と真っ
直ぐに自分を見つめる双眸に竜也の心臓は跳ね上がった。
「俺の精神衛生上甚だ良くない」
そう言いながら竜也の頬に手を添え、直人は唇を近づけた。
「なおと・・・」
場所柄も忘れて高鳴る鼓動のままに目を閉じそうになって、竜也はハッと我に返り慌てて
両手で直人の口を押さえて引き離した。
「ダメ!ダメだよ直人!」
首を横に振る竜也を不満も露わに直人は睨みつける。
その視線に気圧されつつも竜也はおずおずと言い募った。
「だってさ・・・今キスしたら直人の唇もピンクになっちゃうかもしれないよ?」
その言葉に直人は考えたくもないことを一瞬想像しそうになり、派手に顔をしかめて舌打
ちした。
「まったく・・・何から何まで忌々しい唇だな」
そう吐き捨てて直人はさっと竜也の頬に口づけた。
「直人・・・っ///」
柔らかくくすぐったいその感触に赤面する竜也に直人はニヤリと笑って言った。
「今はこれで勘弁しといてやる。帰ったら・・・覚悟しておけよ」
「なな何が?何で?」
「俺以外の奴にそんな顔を見せた罰と・・・無駄に煽ってくれた礼はさせてもらうってことだ」
「そ、そんなぁ。何だよそれ〜///」
クックと楽しげに喉で笑いながら耳元にそんなことを囁き、腕の中に閉じ込めるように強
く抱きしめてくる直人に竜也はますます赤くなり、己の状態に気付いた今その場から出る
に出られぬ状態に陥ってしまい・・・。
そのほとぼりが冷めるまで実際かなりな時間を要したのだが。
化粧室の入り口にはいつのまにか『清掃中』の札が掛けられていて、あえてその中に立
ち入ろうという勇気ある者は誰一人としていなかったのだった。





御曹司の唇は可愛いと思う。
なんて・・・だいぶ終わってますね私・・・。
ああ、皆様引かないで!プリーズカンバ〜ック!(笑)
ほんとは桜の季節ぐらいに上げたくて書いてたんですが
なかなかまとまらなくて・・・。
そしたらここのとこの竜也の中の人の雑誌インタビューが
タイムリーなことこの上ない内容で煽ってくれたので
めでたくこんな形に仕上がりました。(笑)

あ。タイトルですが
私特にSEIKOフリークというわけではないです。

(分かる人がどれだけいるというのか・・・)


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